親友の彼氏に恋をした夏
Chapter 1 — 親友の彼氏に恋をした夏
「おめでとうございます、若菜様。宇佐美グループとのご婚約、心よりお喜び申し上げます。」深々と頭を下げる秘書の言葉が、若菜の耳にはまるで遠い国の音楽のように響いた。
見合いからわずか一ヶ月。相手は、日本経済を牽引する宇佐美グループの御曹司、宇佐美海斗。完璧な容姿、卓越した才能、そして誰もが羨む財力。しかし、若菜の心は鉛のように重かった。なぜなら、彼女には誰にも言えない秘密があったからだ——海斗の兄、宇佐美悠真との、決して許されない関係。
名家、榊原家の長女として生まれた若菜は、幼い頃から常に周囲の期待を背負ってきた。華やかな社交界、厳しい礼儀作法、そして政略結婚。まるで、自分が操り人形になったかのような息苦しさを感じていた。そんな彼女の心の支えだったのが、悠真だった。
初めて会ったのは、若菜がまだ高校生の頃。榊原家と宇佐美家が合同で開催したチャリティパーティーで、彼は控えめな笑顔で若菜に話しかけた。「緊張しますよね。僕もこういう場は得意じゃないんです。」彼の言葉は、若菜の張り詰めていた心を優しく解きほぐした。それから、二人は密かに会うようになった。図書館、映画館、そして人けのない公園。お互いの悩みや夢を語り合い、いつしか惹かれあっていた。悠真の温かい眼差し、優しい言葉、そして時折見せる子供のような笑顔。若菜は彼に心の底から癒されていた。
しかし、二人の関係は決して許されるものではなかった。宇佐美家は、日本有数の財閥。榊原家も、政界に強い影響力を持つ名家。両家の繋がりは、ビジネスと政治において重要な意味を持っていた。そして、その繋がりを確固たるものにするために、若菜と海斗の結婚は必然だった。悠真も、そのことをよく理解していた。だからこそ、彼はいつも苦しそうな表情を浮かべていた。
「若菜、君を幸せにできない僕を許してくれ。」ある夜、悠真はそう言って、若菜の手を強く握りしめた。その瞬間、若菜は自分の心が張り裂けるような痛みに襲われた。それでも、彼女は悠真を責めることはできなかった。なぜなら、彼女もまた、同じように苦しんでいたからだ。
婚約の知らせを聞いた時、若菜は全てが終わったと思った。もう二度と、悠真に会うことはできない。彼と交わした約束、二人で見た景色、そして温かい思い出。全てが、過去のものになってしまう。そう思うと、若菜の胸は締め付けられるように苦しかった。
しかし、運命は残酷なまでに若菜を翻弄する。婚約発表パーティー当日。華やかな会場で、若菜は海斗に紹介された。「兄の悠真です。若菜さんと、これから仲良くしてやってくれ。」海斗の言葉に、若菜は息を呑んだ。悠真は、いつもの優しい笑顔を浮かべていたが、その瞳の奥には、深い悲しみが宿っていた。そして、その夜。若菜は、悠真から一枚の紙切れを渡された。「明日、いつもの場所で待っている。」短いメッセージ。しかし、その言葉は若菜の心に、再び禁断の火を灯してしまった——。