同居はビジネス、ドキドキは想定外

Chapter 1 — 同居はビジネス、ドキドキは想定外

「結婚しないと、会社を潰すことになるの。」

志貴紬は、向かいに座る父の言葉に耳を疑った。父、志貴修一郎は、創業から30年、一代で志貴グループを築き上げた剛腕社長だ。その父が、まさか結婚を条件に会社を続けると言い出すなんて。

「父さん、何を言ってるの? 結婚と会社がどう関係あるの?」

紬は、表参道にある桜並木が見えるカフェで、父と向かい合っていた。春の陽気が心地よい午後だったが、父の言葉は、その穏やかな空気を一瞬にして凍りつかせた。

「志貴グループは、今、資金繰りが非常に厳しい状況だ。メインバンクからの融資も、難しい。そんな中、夏目グループの夏目会長から、援助の申し出があったんだ」

夏目グループ。日本有数の大財閥であり、志貴グループにとっては雲の上の存在だ。夏目グループからの援助は、喉から手が出るほど欲しい。しかし、夏目会長が援助の条件として提示したのは、紬と夏目会長の孫、夏目要との結婚だった。

「要さんは……何度かパーティーでお見かけしたことはあるけれど……ほとんど知らないわ」

夏目要は、容姿端麗、頭脳明晰で、夏目グループの後継者として申し分ない人物だ。しかし、紬にとっては、ただの顔見知り以上の存在ではない。恋愛感情など、微塵も抱いたことはなかった。

「紬、頼む。お前しかいないんだ。志貴グループを、社員たちを、救ってくれ」

父は、深々と頭を下げた。今まで、仕事一筋で生きてきた父が、ここまで頭を下げる姿を見たのは初めてだった。志貴グループには、数千人の社員とその家族がいる。もし会社が倒産すれば、多くの人が路頭に迷うことになる。紬は、その責任の重さに押しつぶされそうになった。

「……分かりました。要さんと、お会いしてみます」

紬は、覚悟を決めた。これは、愛のない契約結婚だ。しかし、志貴グループを守るため、社員たちとその家族のために、紬は夏目要との結婚を受け入れることにした。

数日後、紬は夏目グループ本社で、夏目要と会うことになった。重厚な扉を開けると、そこには、予想以上に冷たい視線を向ける要が立っていた。

「志貴さん、あなたが祖父の言った結婚相手ですか。はっきり言っておきますが、私はあなたと結婚するつもりはありません」

要の言葉は、予想外だった。援助の条件は結婚ではなかったのか?

「ですが、夏目会長は……」

「祖父は、そう言ったでしょう。しかし、私は自分の人生を、祖父に決められるつもりはありません。結婚するくらいなら、志貴グループなど見捨てる方がマシだと思っています」

要の冷たい言葉に、紬は絶望した。この結婚は、最初から破綻している。志貴グループは、もう助からないのかもしれない。紬は、その場に崩れ落ちそうになった。

「ですが……」

紬が何か言おうとした瞬間、要は突然、顔を近づけてきた。

「ただし、志貴グループを救う方法が、全くないわけではありません」

要は、紬の耳元で、甘く囁いた。

「偽装結婚なら、考えてもいい」

紬は、息を呑んだ。偽装結婚? それは一体、どういうことなのだろうか。

「偽装結婚をして、一年後に離婚する。そうすれば、祖父も諦めるでしょう。そして、志貴グループへの援助も、継続される。どうです? 志貴さん。あなたにとって、悪い話ではないはずです」

要の提案は、紬にとって、あまりにも衝撃的だった。しかし、志貴グループを救うためには、他に手段はない。紬は、迷った末に、決意を固めた。

「……分かりました。偽装結婚、受けます」

紬の言葉に、要は薄く笑った。その笑顔は、どこか冷たく、そして、危険な香りがした。

「いいでしょう。では、明日から、夫婦として生活を始めましょうか。ただし、いくつか条件があります」

要は、そう言い残して、紬に背を向けた。その瞬間、紬は、自分がとんでもない契約に足を踏み入れてしまったことに気づいた。これから始まる偽りの結婚生活は、一体どんなものになるのだろうか。そして、その先に待ち受けているのは、希望か、それとも絶望か。

その夜、紬の元に、要から一通のメールが届いた。

『明日の朝8時に、夏目邸に来てください。それから、偽装結婚の条件ですが——』

メールには、信じられないような条件が書かれていた。紬は、その内容を読み終えた瞬間、背筋が凍り付くのを感じた。こんな条件、受け入れられるわけがない。しかし、志貴グループを救うためには……

紬は、震える手で、返信を書いた。

『……分かりました。条件、飲みます』

送信ボタンを押した瞬間、紬の心に、言いようのない不安が広がった。明日から始まる偽りの結婚生活は、一体どんな波乱に満ちたものになるのだろうか。そして、紬は、その波乱を乗り越えることができるのだろうか。

翌朝、紬は夏目邸へと向かった。夏目邸の門の前で、深呼吸をして、覚悟を決めた。これから始まる偽りの結婚生活。それは、紬の人生を大きく変えることになるだろう。

夏目邸の扉が開いた瞬間、紬は、想像を絶する光景を目にした。玄関には、信じられない人物が立っていたのだ。

「おはようございます、紬さん。今日から、あなたの専属執事として、夏目邸でお世話させていただきます、榊原悠真です」

そこに立っていたのは、紬の大学時代の元カレ、榊原悠真だった。なぜ、彼がここに? そして、これから始まる偽りの結婚生活に、彼は一体どんな影響を与えるのだろうか。紬の心は、激しく揺れ動いた。偽装結婚の相手は、冷酷な御曹司。そして、執事は、忘れられない元カレ。嘘から始まった結婚生活は、予想外の方向に進み始める。