あの夏のプールサイドに、まだ君がいる

Chapter 1 — あの夏のプールサイドに、まだ君がいる

「蒼井…蒼…?」

木曜日の午後、私は打ち合わせの準備で慌ただしい汐留のオフィスにいた。目の前に広がる東京湾の景色も、今日はどこかぼやけて見える。プレゼン資料の最終チェックをしながら、ふと窓の外に目をやると、信じられない光景が飛び込んできた。

5年前に交通事故で亡くなったはずの婚約者、蒼井蒼が、そこに立っていたのだ。あの夏、私たちが永遠を誓い合ったプールサイドに、まるで時間が止まったかのように、彼はいた。

「まさか…」

心臓が激しく鼓動する。幻覚だと思った。疲れているせいだと自分に言い聞かせた。でも、彼の姿はあまりにも鮮明だった。あの優しい笑顔、少し癖のある髪、そして、いつも私を見つめていた、深い藍色の瞳。

急いでスマホを取り出し、カメラを起動する。震える手でシャッターを切ろうとした瞬間、彼はゆっくりとこちらを向き、微笑んだ。その瞬間、時間が止まった。

「珠希…」

かすかに聞こえた気がした。気のせいかもしれない。でも、確かに彼は私を呼んだ。

私は椅子から立ち上がり、無我夢中でオフィスを飛び出した。エレベーターを待ちきれず、階段を駆け下りる。足がもつれそうになりながらも、ひたすら彼がいるはずの場所を目指した。

外に出ると、強い日差しが肌を刺す。あの夏の日と変わらない、まぶしい光。でも、彼の姿はもうどこにもなかった。

ただ、そこに、一枚の白いハンカチが落ちていた。見覚えのある、蒼のイニシャルが刺繍されたハンカチ。

茫然自失のまま、ハンカチを拾い上げる。触れた瞬間、彼の温もりが蘇るようだった。5年という歳月は、一体何だったのだろうか。彼は本当に死んだのだろうか。それとも、これは全て、私の見ている夢なのだろうか。

家に帰り、シャワーを浴びても、彼の姿が頭から離れない。あの日の事故の映像が、何度もフラッシュバックする。血だらけの蒼、響き渡るサイレンの音、そして、私の絶望。

リビングのソファに倒れ込み、天井を見上げる。目に飛び込んできたのは、蒼との思い出の写真立てだった。あの頃の私たちは、いつも笑っていた。未来を信じて疑わなかった。

その時、インターホンが鳴った。モニターを見ると、そこに立っていたのは、蒼井グループ会長、蒼の父、蒼井宗一郎だった。

「蒼井珠希さん、いらっしゃいますか?」

ドアを開けると、彼は深々と頭を下げた。

「突然申し訳ありません。実は、あなたにお願いがあって参りました」

彼の口から出た言葉は、予想もしていなかったものだった。

「…私と、契約結婚して頂けませんか?」

私は言葉を失った。彼の目的は何なのか。そして、蒼は一体どこにいるのか。様々な疑問が渦巻く中、私はただ、彼の言葉に耳を傾けるしかなかった。