犬猿の仲から始まる横浜ラブストーリー
Chapter 1 — 犬猿の仲から始まる横浜ラブストーリー
「離婚しましょう」
結婚三年目の記念日、夫である風間奏(とうどうれん)が、デザートのチョコレートケーキを前にして、そう切り出した。フォークを持つ手が微かに震えている。まるで、これから人を殺すかのような、そんな覚悟が見えた。
表参道に佇む、蔦の絡まる洋館。それが、私たち夫婦の巣だ。外から見れば絵になる風景だろう。誰もが羨む、美男美女の夫婦。しかし、その実態は、冷え切った仮面夫婦に過ぎない。
奏は、風間グループの御曹司。誰もが認めるエリートだ。頭脳明晰、容姿端麗。欠点など、あるはずがない。対する私は、朝霧詩織(しらいしりん)。ごく普通の家庭で育ち、特に取り柄もない。そんな私が、なぜ彼と結婚したのか。それは、今となっては笑い話にしかならない。
「理由を聞いても?」
私は、平静を装って尋ねた。動揺を悟られないように、努めて冷静に。
「……君には、関係ない」
奏は、冷たい声で言い放った。その瞳には、私への嫌悪感しか宿っていない。まるで、ゴミを見るかのような視線。
三年前、私たちは政略結婚という形で結ばれた。お互いに愛情などなかった。ただ、家同士の都合が一致しただけ。それでも、私はいつか彼に愛されることを夢見ていた。愚かにも。
「関係ない、ですか。奏さん、それは酷いんじゃないですか?一応、夫婦なんですから」
「夫婦、ね。ただの契約だ。君も、そう思っていたはずだ」
奏は、嘲笑うかのように言った。その言葉は、私の胸に深く突き刺さる。
「……そうですね。契約でしたね」
私は、そう答えるのが精一杯だった。涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。
「では、離婚届に判を押します。ただし、一つだけ条件があります」
私は、震える声で言った。奏は、訝しげな表情で私を見た。
「条件?何だ」
「……離婚する前に、一度だけ、私を抱いてください」
その瞬間、奏の顔から血の気が引いた。彼は、信じられないものを見るかのように、私を見つめた。そして、絞り出すように言った。
「……ふざけるな!」
彼の怒号が、静まり返った洋館に響き渡った。その時、私は知ってしまった。彼が隠している、深い闇の存在を。そして、その闇に、私が踏み込んでしまったことを。
翌日、私は奏の秘書から呼び出された。「奥様、至急、会社までお越しください」いつも冷静沈着な秘書の神崎(かんざき)さんの声が、電話口で明らかに震えていた。一体、何が起こったのだろうか……?