嘘つきな唇、罪の味

Chapter 1 — 嘘つきな唇、罪の味

結婚式の鐘の音が、まるで嘲笑うかのように、私の耳に響いた。純白のドレスに身を包んだ妹、菜々子は、満面の笑みを浮かべている。その隣には、瀬名匠——私の元カレ。そして、今、妹の婚約者。

こんな悪夢のような状況に陥ったのは、すべてあの夜の出来事から始まった。大学時代のサークルの飲み会。酔った勢いで、匠と一夜を共にしてしまった。翌朝、彼は後悔の色を滲ませながら、「何もなかったことにしてくれ」と。

それから数ヶ月後、菜々子が匠を紹介された。両家の顔合わせで、私は再び彼と対峙することになったのだ。あの夜のことは、誰にも言えなかった。妹の幸せを壊したくなかったから。だが、匠の視線は、常に私を追いかけていた。罪悪感と、ほんの少しの期待を込めて。

「お姉様、匠さんのこと、どう思う?」

菜々子の無邪気な問いかけが、私の胸を締め付ける。どう思うかって? 答えられるわけがない。匠への未練、妹への罪悪感、そして、この状況への絶望。すべてが混ざり合い、私を押し潰そうとしている。

「素敵じゃない。菜々子にぴったりよ」

精一杯の笑顔で答える私。その時、匠の瞳が、一瞬、暗く沈んだように見えたのは、気のせいだろうか。

数週間後、私は突然、会社の上司である榊原から呼び出された。

「花宮さん、少し話がある。君に、偽の婚約者になってほしいんだ」

榊原は、冷静な口調でそう言った。彼の目的は、会社の合併話を進める上で、邪魔な存在を排除すること。そのためには、私という「ダミー」が必要だったのだ。

「断れば、どうなりますか?」

私は、震える声で尋ねた。榊原は、ニヤリと笑った。

「君のキャリアは、終わりだ。それに、君の妹の結婚にも、影響が出るかもしれないな」

妹の結婚……匠との関係が、榊原にバレている? まさか、そんな……。

私は、絶望的な気持ちで、榊原の提案を受け入れた。偽の婚約者。そんな役割を演じることで、私は何を守ろうとしているのだろうか。妹の幸せ? それとも、自分自身のプライド?

数日後、私は匠と菜々子の結婚式の二次会に参加していた。会場の隅で、一人、グラスを傾けていると、背後から声をかけられた。

「花宮さん、少し、いいかな」

振り返ると、そこには、榊原が立っていた。彼は、私の耳元で囁いた。

「君の演技、なかなか上手じゃないか。だが、そろそろ、次の段階に進む必要がある」

榊原の言葉の意味が分からず、私は首を傾げた。その時、会場の照明が消え、ステージにスポットライトが当たった。そして、司会者の声が響き渡った。

「皆様、本日は誠におめでとうございます! ここで、新郎新婦からのサプライズ発表がございます!」

匠と菜々子が、ステージの中央に進み出る。菜々子は、マイクを手に取り、満面の笑みを浮かべて言った。

「皆様にご報告があります。実は、お姉様にも、素敵な人ができたんです!」

会場全体が、祝福の拍手に包まれる。私は、一体何が起こっているのか、理解できなかった。菜々子は、私に向かって、手を振っている。その視線の先には——榊原が立っていた。

「皆様、ご紹介します。私の姉、泉の婚約者、榊原悠真さんです!」

妹の口から、婚約者の名前が告げられた瞬間、私の世界は、音を立てて崩れ始めた。匠の表情は、驚愕と、ほんの少しの安堵が入り混じっているように見えた。榊原は、優雅に微笑み、私に近づいてくる。私は、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。彼の冷たい手が、私の腰に回された時、私は、自分が、とんでもない罠に嵌められたことに気づいたのだ。

「泉、おめでとう。君との未来が、楽しみだよ」

榊原の囁きが、私の耳に突き刺さる。この偽りの愛の舞台で、私は、一体、何を演じさせられるのだろうか。そして、この嘘は、どこまで私を追い詰めるのだろうか。

二次会の後、匠が私を追いかけてきた。彼は、真剣な眼差しで、私を見つめた。

「泉、これは一体どういうことだ? 榊原さんと、婚約したって……」

私は、何も答えられなかった。ただ、涙が溢れるのを、必死に堪えていた。匠は、私の肩を掴み、強く抱きしめた。

「泉、教えてくれ。君は、一体、何を隠しているんだ?」

その時、背後から、冷たい声が響いた。

「お二人とも、仲睦まじいですね。だが、私の婚約者に、手を出さないでもらえますか?」

振り返ると、そこには、菜々子が立っていた。彼女の瞳には、今まで見たことのないほどの、憎悪の色が宿っていた——。