隣の部屋の彼は、母の再婚相手の息子でした

Chapter 1 — 隣の部屋の彼は、母の再婚相手の息子でした

「麻衣、ちょっといいかしら?」

母の声が、午後の陽だまりの中でやけに響いた。デザイン会社のデスクに向かい、締め切り間近のプレゼン資料に没頭していた私は、顔を上げた。

「どうしたの、お母さん?」

母は少し緊張した面持ちで、言いにくそうに言葉を選んでいる。

「あのね、麻衣……実は、再婚することにしたの」

再婚?

一瞬、理解が追いつかなかった。母は数年前に父を亡くし、それ以来ずっと一人で僕を育ててくれた。再婚なんて、考えたこともなかった。

「え…お母さん、誰と?」

母は少し頬を赤らめ、言った。「星野さん、って言うの。前に一度、あなたも会ったことがあるかもしれないわ」

星野…?どこかで聞いたことのある名前だ。

「星野って…もしかして、ミカド・ファーマの?」

「ええ、そうよ。とても素敵な方なの」

ミカド・ファーマ。大手製薬会社。確か、専務取締役がいたはず。

まさか…

嫌な予感が胸をよぎる。

「お母さん、その星野さんの息子さんって…」

母は少し躊躇し、そして言った。「凌さんよ。鷹司さんのマンションの、隣の部屋に住んでいるの」

世界が止まった。

凌…星野凌。それは、私の初恋の人であり、数年前に一方的に別れを告げられた、忘れられない人だった。

まさか、こんな形で再会するなんて。

しかも、母の再婚相手の息子として。

動揺を隠せない私に、母は続けた。「今度、食事会をすることになったの。麻衣も一緒に来てくれる?」

私は、乾いた声で答えた。「…うん、わかった」

その夜、マンションのエレベーターで、偶然、凌と再会した。

「…麻衣?」

彼は、あの頃と変わらない、優しい笑顔を浮かべていた。しかし、その瞳の奥には、何か複雑な感情が渦巻いているようだった。

「凌…さん」

言葉が出てこない。

「久しぶりだね。まさか、こんなところで会うなんて」

彼の声は、甘く、そして少し苦い。

「母さんが、再婚するって…」

私がそう言うと、彼は一瞬、顔を曇らせた。

「ああ…知ってるよ。僕も、父から聞いた」

沈黙が流れる。

「…婚約者は、どうしたの?」

私は、勇気を振り絞って聞いた。彼の薬指には、確かに指輪が光っていた。

彼は、その指輪を無意識にかばうように、ポケットに手を突っ込んだ。

「…それは、関係ない」

彼はそう言うと、エレベーターのボタンを押した。

「もうすぐ着くね。また、後で」

そう言って、彼は私に背を向けた。

エレベーターの扉が開き、彼が降りていく。

私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

その時、彼の携帯電話が鳴った。

「…はい、もしもし。ええ、今、マンションに着いたところです…はい、愛してるよ」

その言葉は、まるでナイフのように、私の胸に突き刺さった。

愛してる。

誰に?

凌の婚約者に?

それとも…

私の知らない、別の誰かに?

真実は、まだ闇の中だ。