京都の旧家に嫁いだら、旦那様が不器用すぎた

Chapter 1 — 京都の旧家に嫁いだら、旦那様が不器用すぎた

「結婚してください、杏奈さん。偽物でいいんです」

春の柔らかな陽光が、表参道のカフェテラスに降り注ぐ。私は、榊杏奈。28歳。有名アパレルブランド「ステラモード」のプレス担当だ。向かいに座るのは、三笠遼太郎。大学時代のサークル仲間で、今は誰もが知るIT企業「ネクサス・ジャパン」の御曹司。

桜並木が美しいこのカフェで、彼は突然、偽装結婚を申し込んできたのだ。彼の瞳は真剣そのもので、冗談を言っているようには全く見えない。

「遼太郎さん、一体どういうこと? 偽物って……」

困惑を隠せない私に、遼太郎は深いため息をついた。「実は……祖父が倒れて、会社を継ぐ条件として、結婚を迫られているんだ。相手は、祖父が決めた政略結婚の相手で、どうしても受け入れられない」

遼太郎の家は、古くからの財閥で、跡取り問題は常に付きまとっていた。彼の苦悩は理解できる。しかし、なぜ私が?

「それで、なぜ私が適任なの?」

「杏奈さんは、僕の事情をよく知っているし、何よりも信頼できる。それに、杏奈さんなら、相手を納得させられると思ったんだ。期間は一年。その後は円満に解消ということで……」

一年間の偽装結婚。遼太郎の祖父を欺き、政略結婚を回避する。そんな大役を、私が引き受けることができるのだろうか。

「メリットは? 私に何のメリットがあるの?」

遼太郎は少し躊躇した後、低い声で言った。「ステラモードの新規事業の資金援助だ。君がずっと温めてきたプロジェクトを実現できる。ネクサス・ジャパンが全面的にバックアップする」

私の胸が高鳴った。新規事業のプランは、上層部に何度も却下されてきた。資金難が最大の理由だった。それが、遼太郎の力で実現できるかもしれない。

「ただし、条件がある」

遼太郎はそう言って、カバンから一冊の契約書を取り出した。表紙には『偽装結婚契約書』と書かれている。

「契約書には、僕の祖父を欺くための詳細なルールが書かれている。夫婦としての振る舞い、親族への挨拶、週末の過ごし方……すべてだ」

契約書を手に取り、目を通す。細かい字でびっしりと書かれた条項は、まるで本物の夫婦のようだった。

「それと、もう一つ。杏奈さんには、僕の専属秘書としてネクサス・ジャパンに入社してもらう必要がある。夫婦としての行動を自然に見せるためにね」

秘書……。

アパレルのプレスから、IT企業の秘書へ。全く畑違いの仕事だ。それに、遼太郎のそばで毎日顔を合わせることになる。偽装とはいえ、夫婦として振る舞いながら、冷静でいられるだろうか。

「考えてもいい? すぐに返事はできない」

「もちろん。でも、時間はない。祖父の容態は悪化していて、いつお見合いの話が進むかわからない。明日の朝までに返事が欲しい」

翌朝までに決断しなければならない。新規事業の夢か、それとも安定した今の生活か。遼太郎との偽装結婚は、私の人生を大きく変えることになるだろう。

カフェを出て、表参道の桜並木を歩く。満開の桜は、まるで私の心を映し出しているかのように、美しくも儚い。偽りの愛は、いつか散ってしまうのだろうか。

家に帰り、契約書を読み返す。最後のページに、手書きの文字が添えられていた。

『杏奈さんへ。これは、僕にとって最後の頼みだ。君を巻き込んでしまって申し訳ない。でも、君しかいないんだ』

遼太郎の切実な想いが伝わってくる。私は、彼の頼みを断ることができるのだろうか。

その夜、突然、携帯電話が鳴った。画面には、見慣れない番号が表示されている。

「はい、榊です」

電話の向こうから、低い男性の声が聞こえてきた。「榊杏奈さんですね。三笠グループの法務部、黒崎と申します。明日の朝、弊社の顧問弁護士とともに、あなたのマンションにお伺いしたいのですが……」

「法務部……? 一体何の用ですか?」

「三笠遼太郎様の婚約に関する件で、重要なお話があります」

遼太郎の婚約? 偽装結婚の話は、一体どうなってしまうのだろうか。