嫌いなあなたの隣が、一番落ち着く
Chapter 1 — 嫌いなあなたの隣が、一番落ち着く
「花咲、お前だけは絶対に認めない」
朝礼後、静まり返った会議室に響き渡ったのは、私の、鷹取月乃の声だった。大手広告代理店、株式会社ADコミュニケーションズ。そのクリエイティブ局で働く私は、今日、社内コンペの最終プレゼンに臨んだ。
対するは、入社以来、常にトップを走り続ける男、花咲慶。彼の企画はいつも斬新で、誰もが唸るほどの完成度を誇る。だが、今回の企画だけは、どうしても、認めることができなかった。なぜなら、それは私の企画のパクリ、いや、言い換えれば、限りなく酷似していたからだ。
「鷹取さん、落ち着いてください。証拠はあるんですか?」
人事部長の榊原さんが、冷静な声で私を諫める。しかし、私の怒りは収まらない。
「証拠ならいくらでもあります。花咲さんの企画書と私の企画書、見比べてみてください。コンセプトも、ターゲットも、表現方法も、ほとんど同じじゃないですか!」
花咲は、涼しい顔で私を見下ろしている。その視線が、余計に私の神経を逆なでする。
「鷹取さんの企画が素晴らしいのは認めます。しかし、偶然似てしまうことだって、ありえるでしょう」
「偶然?そんなこと、ありえません!花咲さんは、私の企画を盗んだんです!」
言い争いは、エスカレートしていく。周りの社員たちは、息を潜めて私たちを見守っている。社内でも有名な、犬猿の仲。それが、私たち、鷹取月乃と花咲慶の関係だった。
事の発端は、3年前。同じプロジェクトチームに配属されたことがきっかけだった。最初は、互いに認め合い、刺激し合う良い関係だった。しかし、ある日、花咲が私のアイデアを横取りし、それを自分の手柄として発表したのだ。それ以来、私たちは、顔を合わせるたびに、火花を散らすようになった。
「落ち着け、月乃。そんな言い方をするもんじゃない」
同期であり親友の百瀬文香が、私の肩を叩く。彼女の言葉に、少しだけ冷静さを取り戻す。
「…ごめんなさい、言い過ぎました」
深呼吸をして、改めて花咲に向き合う。
「花咲さん、今回の企画、本当にあなたがオリジナルで作ったものですか?」
花咲は、しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「…鷹取さんが、そう思うなら、それでいいんじゃないですか」
その言葉に、私は衝撃を受けた。まるで、認めているかのような、曖昧な言い方。彼は、一体何を考えているんだ?
コンペの結果は、当然、花咲の勝利だった。彼の企画は、クライアントからも高い評価を受け、プロジェクトは、彼のチームを中心に進められることになった。私は、悔しさと怒りで、全身が震えるのを感じた。
数日後。私は、人事部長の榊原さんに呼び出された。
「鷹取さん、今回の件ですが、会社として、鷹取さんに、あるプロジェクトに参加していただきたいと考えています」
「プロジェクトですか?何のプロジェクトですか?」
「花咲君が率いる、新プロジェクトチームの一員として、参加していただきたいのです」
私は、耳を疑った。あの花咲のチームに、私が?そんなこと、絶対にありえない。
「…冗談ですよね?私と花咲さんは、犬猿の仲だって、知っているはずです」
「承知しています。しかし、会社としては、鷹取さんの才能も必要だと考えています。それに、花咲君も、鷹取さんの参加を希望しているのです」
花咲が、私を?一体、何を企んでいるんだ?
「…分かりました。お受けします。ただし、一つだけ条件があります」
「条件、ですか?」
「花咲さんと、二人きりで話す機会を設けてください」
榊原さんは、少し驚いた顔をしたが、すぐに承諾してくれた。そして、その日の夕方。私は、花咲と二人きりで、屋上で向き合うことになった。
「…一体、何のつもり?私をあなたのチームに入れるなんて」
花咲は、夜景を見つめたまま、答えない。沈黙が、重くのしかかる。
「…鷹取さんの力が必要だと言ったのは、本心です」
「本心?私の企画を盗んでおいて、よくそんなことが言えますね」
「あの企画については…誤解だと言っても、信じてもらえないでしょうね」
「当然です。私は、絶対にあなたを許しません」
「…分かっています。だから、せめて、このプロジェクトを通して、鷹取さんに認めてもらいたい」
花咲は、ようやく私の方を向いた。その瞳には、今までに見たことのない、真剣な光が宿っていた。
「…ただし、一つだけ条件があります」
花咲が、静かに、そう言った。
「このプロジェクト期間中、僕と…恋人のフリをしてくれませんか?」
私は、花咲の言葉に、息を呑んだ。一体、何が始まるのだろうか。