銀座のシンデレラは逃げられない

Chapter 1 — 銀座のシンデレラは逃げられない

「有馬さん、覚悟はいいですか?」

背後から聞こえた低い声に、凪紗は肩を震わせた。目の前には、まばゆいばかりのシャンデリアが輝く豪華絢爛な宴会場。東京の一等地、銀座にある五つ星ホテルの一室だ。今夜、ここで、彼女の人生は大きく変わる。

「…はい」

絞り出すような返事。凪紗は、深い呼吸を繰り返した。逃げ出したい。今すぐにでも、この場から消え去りたい。しかし、それは許されない。有馬グループの命運は、彼女の肩にかかっているのだから。

父の会社は、長年の経営不振により、倒産の危機に瀕していた。それを救う唯一の道は、春日瑛太との政略結婚。春日グループは、日本経済界に絶大な影響力を持つ巨大企業。その御曹司である瑛太と結婚すれば、有馬グループは救済される。

まるで、シンデレラの物語。ただし、ガラスの靴を履く代わりに、望まぬ結婚をするという、残酷な結末が待っている。

「春日様がお見えになりました」

執事の声が、会場に響き渡る。ざわめきが止まり、すべての視線が一点に集中した。凪紗は、息を呑んだ。ついに、その時が来たのだ。

ゆっくりと扉が開かれ、春日瑛太が現れた。漆黒のスーツに身を包み、冷たい光をたたえた瞳で、会場を見渡す。彫刻のような美しい顔立ちだが、表情は一切ない。まるで氷のように冷たい男。

凪紗は、彼と目が合った。その瞬間、全身が凍り付いたように感じた。この男と、これから夫婦になるのか。想像するだけで、恐ろしい。

瑛太は、ゆっくりと凪紗に近づいてきた。その一歩一歩が、凪紗の心を締め付けていく。

「有馬凪紗さん、でしたか」

低い声が、凪紗の耳元で囁かれる。その声は、予想以上に甘美で、凪紗の心をざわつかせた。

「…はい」

再び、絞り出すような返事。凪紗は、必死に平静を装った。

「あなたとの結婚は、ビジネス上の都合です。勘違いしないでください」

瑛太は、冷たい視線を凪紗に向けた。その言葉は、まるで氷の刃のように、凪紗の胸を突き刺した。

「…わかっています」

凪紗は、震える声で答えた。最初から、期待などしていなかった。これは、愛のない結婚。ただの契約に過ぎない。

披露宴は、形式的に進んでいった。祝辞、乾杯、ケーキカット。笑顔を貼り付け、ぎこちない会話を交わす。まるで、作り物の人形のようだ。

そして、ついに、その瞬間が訪れた。司会者の声が、会場に響き渡る。

「それでは、新郎新婦による、最初のダンスです」

瑛太は、凪紗に手を差し伸べた。凪紗は、震える手で、その手を取った。冷たい感触が、全身を駆け巡る。

ダンスホールの中央に進み、二人は向き合った。瑛太は、凪紗の腰に手を回し、ゆっくりと踊り始めた。

音楽が流れ、二人の体が動き出す。しかし、二人の間には、氷のような沈黙が漂っていた。

その時、会場の扉が開き、一人の女性が現れた。深紅のドレスを身にまとい、妖艶な笑みを浮かべている。

「あら、瑛太さん。お久しぶりね」

その女性は、瑛太に向かって、そう言った。その瞬間、瑛太の表情が、わずかに変化した。驚愕と、そして…苦痛。

凪紗は、その女性に見覚えがあった。数日前、瑛太と一緒にいるのを見かけた女性だ。一体、彼女は誰なのか?

「…あなたは、誰ですか?」

凪紗は、勇気を振り絞って、その女性に尋ねた。すると、その女性は、妖艶な笑みを深め、こう答えた。

「私は、瑛太さんの…昔の恋人よ」

会場全体が、息を呑んだ。政略結婚の夜に現れた、謎の女性。彼女の登場は、凪紗と瑛太の結婚に、一体どんな波乱を巻き起こすのだろうか…?