隣のデスクの彼は、私だけに冷たい

Chapter 1 — 隣のデスクの彼は、私だけに冷たい

「睦月くん、ちょっといいかな?」

甘く響く声が、耳朶をくすぐる。朝比奈部長の声だ。顔を上げると、いつものように完璧な笑顔がそこにあった。しかし、その視線は、まるで獲物を定める肉食獣のように、私だけを捉えている。

「はい、部長。なんでしょうか?」

平静を装いながら答える。心臓が早鐘のように打ち、喉がカラカラに渇いているのがわかった。この数週間、朝比奈部長の態度は明らかに変わった。仕事の指示という名目で、二人きりになる機会が増え、その視線は、言葉にならない熱を帯びている。

神崎エージェンシー。大手広告代理店。華やかな世界。しかし、私、睦月健太にとっては、禁断の恋の舞台になりつつあった。朝比奈浩二。容姿端麗、頭脳明晰。誰もが憧れる理想の上司。そして、神崎エージェンシー社長令嬢、神崎彩乃の婚約者。

「新しいキャンペーンの件で、少し意見を聞きたいんだ。今日の夜、時間あるかな?」

朝比奈部長の言葉は、まるで甘い罠のようだった。断る理由はない。仕事の話なのだから。しかし、彼の瞳の奥に潜む、私への特別な感情が、私を惑わせる。

「はい、大丈夫です」

そう答えるのが精一杯だった。部長室に戻る朝比奈部長の背中を見送りながら、私は深くため息をついた。社内恋愛。しかも、相手は婚約者のいる上司。そんな禁断の恋に足を踏み入れてしまっていいのだろうか?

昼休み。屋上で一人、サンドイッチを頬張る。都会の喧騒が遠くに聞こえる。空はどこまでも青く、まるで私の心の内を見透かしているかのようだ。スマホを取り出し、SNSを開く。友人たちの楽しそうな投稿が目に飛び込んでくる。まるで別世界の話のようだ。

ふと、朝比奈彩乃さんのインスタグラムを見つけてしまった。幸せそうな笑顔。美しいドレス。婚約者とのツーショット。眩しすぎる光景が、私の胸を締め付ける。罪悪感が押し寄せてくる。私は、彼女の幸せを壊そうとしているのだろうか?

夕方。定時を過ぎ、オフィスには私たち二人だけになった。朝比奈部長は、いつものように完璧な笑顔で私を待っていた。「睦月くん、準備はいいかな?」

私は、覚悟を決めた。たとえ茨の道であろうとも、一度踏み出してしまった恋心を止めることはできない。しかし、部長室に入った瞬間、私は息を呑んだ。そこには、朝比奈部長と、信じられない人物が待っていたのだ。

「あら、睦月さん。いらっしゃい」

そう微笑んだのは、神崎彩乃さんだった。