初夜の棘

Chapter 1 — 初夜の棘

「今夜、あなたを抱くことはできません。」

ホテルのスイートルーム、煌びやかなシャンデリアの下で、私は真田克己にそう告げた。彼の漆黒の瞳が、一瞬、鋭く光る。見慣れたはずの整った顔立ちが、今はまるで能面のように無表情だ。

「…どういう意味だ、瑞希。」

低い声が、部屋の空気を震わせる。真田グループの御曹司である克己は、常に冷静沈着。感情を表に出すことなど滅多にない。しかし、その声には明らかに苛立ちが滲んでいた。無理もない。今日という日は、私たちにとって、形式上は結婚の第一夜なのだから。

「その言葉通りです。私は、あなたとの結婚を望んでいませんでした。これは、両家の都合で決められた、ただの政略結婚。愛情なんて、どこにもない。」

私は、覚悟を決めて、彼の目をまっすぐ見据えた。震える足を必死に抑え、声が上ずらないように努める。この言葉を言うために、どれだけの勇気を振り絞ったことか。真田家と冴木家。名家同士の繋がりを強固にするための、いわば生贄。それが、私、冴木瑞希の役割だった。

「それを今更言うのか? 瑞希、君はわかっているのか。この結婚が、どれだけの意味を持つのかを。」

克己の言葉は、冷たく、鋭い。まるで氷の刃のようだ。彼は、私の気持ちなど、まるで理解していない。いや、理解しようともしないのだろう。

「わかっています。両家の株価、今後の事業展開、全てわかっています。でも、私には関係ない。私は、モノではないんです。誰かの都合で、人生を決められるような存在ではない。」

言いながら、胸が締め付けられる。本当は、克己のことは嫌いではない。むしろ、初めて会った時から、その美しさに目を奪われていた。けれど、彼の瞳に映るのは、常に真田グループの未来だけ。私という個人を見てくれているようには、どうしても思えなかった。

「では、どうしたい? 冴木家を裏切るつもりか。それとも、この結婚を無かったことにしたいとでも?」

克己は、ゆっくりと私に近づいてくる。その瞳は、まるで獲物を狩る獣のようだ。私は、一歩、後ずさった。彼の圧迫感に、息が詰まりそうになる。

「…私は、離婚したい。」

震える声で、そう告げた。克己の動きが、ピタリと止まる。そして、ゆっくりと口角を上げた。

「面白い。だが、それは不可能だ。なぜなら……」

克己は、私の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「君はもう、僕のものだからだ。」

その瞬間、部屋の明かりが全て消え、私は暗闇に包まれた。そして、背中に、何か冷たいものが触れた気がした。