契約妻ですが、旦那様が離してくれません
Chapter 1 — 契約妻ですが、旦那様が離してくれません
「九条さん、お願いがあるの。」
英里の声は震えていた。見上げると、彼女の瞳は今にも泣き出しそうだった。英里とは大学時代からの親友で、いつも明るく前向きな彼女がこんな顔をするなんて、一体何があったのだろう。
「どうしたの、英里?何かあった?」
場所をカフェに移し、私は改めて英里に問いかけた。彼女は深呼吸を一つし、意を決したように話し始めた。
「実は…私の実家の会社が、倒産寸前なの。」
英里の実家は、京都で長く続く老舗の和菓子屋だった。小さい頃から、英里の実家のお菓子は私の生活の一部だった。その味が途絶えてしまうなんて、考えられない。
「それで…九条さんのご実家に、助けていただけないかと思って…」
九条?私の苗字は永瀬だ。なぜ、九条の名前が出てくるのだろうか。
「私の父が、九条グループの会長と懇意にしていて…でも、支援してもらうには、条件があるって言われたの。それは…私が九条グループの御曹司、九条学さんと婚約すること。」
私は言葉を失った。英里の実家を救うためには、私が誰かと契約結婚しなければならないということか。
「でも、学さんは、誰とも結婚する気がないらしくて…。だから…お願い。私の代わりに、学さんと婚約してくれない?」
英里は深々と頭を下げた。私は混乱していた。契約結婚?しかも、相手は九条グループの御曹司?まるでドラマのような展開に、現実感がなかった。
「永瀬さん、これはお願いではありません。これは、取引です。」
突然、低い声がカフェに響いた。顔を上げると、そこに立っていたのは、漆黒のスーツに身を包んだ、冷たい視線を持つ男——九条学その人だった。
「あなたが、睦月英里さんの代わりになる代償は、それ相応の覚悟が必要だと、理解していますか?」
学の言葉は、氷のように冷たく、私の心を刺した。私は震える声で答えた。「…覚悟、とは?」
「それは、これからあなたが知ることになるでしょう。」学は薄く笑い、私に近づいた。「さあ、偽りの婚約者さん。契約を始めましょうか。」
次の瞬間、学は私の腕を掴み、カフェの外へと連れ出した。抵抗する間もなく、高級車に押し込まれ、私は九条家の豪邸へと向かうことになった。これから始まる、偽りの結婚生活。その先に待ち受けているのは、一体何なのだろうか——。
家に着き、応接室で九条会長と対面した。会長は優しげな笑顔で私を迎えたが、その瞳の奥には、何かを見透かすような光が宿っていた。
「永瀬さん、よくいらっしゃいました。学から話は聞いていると思います。今回の婚約は、あくまで形だけ。お互いの利害が一致すれば、それでいいのです。」
私は頷いた。しかし、会長の次の言葉に、私は息を呑んだ。
「ただし、条件があります。それは…」
会長は目を細め、意味深な笑みを浮かべた。「一年以内に、学を本気で愛させること。それができなければ、契約は破棄。睦月家の支援も打ち切ります。」